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あれから25年… [日記・コラム・つぶやき]

兵庫県南部地震から阪神大震災を経て阪神淡路大震災に改称されたあの地震、当時は大阪市内のマンション住まいでしたが比較的震源に近かったにも拘わらず活断層の方向が逸れたお陰で幸い建物の倒壊や破損と言った被害は有りませんでしたがエレベーターが止まり暫くは不便な思いをしました。

又、勤務先や友人など周りの方々も建物の被害は有ったものの、亡くなったり大けがされた方もおらずホッとしました。

地震発生当時、突然下から突き上げるような揺れで目が覚め布団の中でパニックと恐怖で何も出来ない状態、揺れている最中に停電しエレベーターの緊急ブザーがけたたましく鳴り、後で分かったのですがたまたま居住階に停止し扉が開いたようです。

揺れが収まって暫くするとジワジワと寒さを感じるようになります、そりゃそうですよね雪国ではないですけれど1月中旬の6時前ですから1日のうちで最も寒い時間帯、気温1ケタ前半まで下がっていますから…

30~40分くらいした頃でしょうか、復電したので蛍光灯を点けてテレビのスイッチを入れると映し出されたのは地震の爪痕…ヘリコプターからの映像で交通インフラの破壊と火災でした。

横倒しとなった高架道路やビル、大きく傾いた家屋やビル、まるでだるま落としのように1階部分だけ圧し潰したような建物、そして長田区
中心とした火災、道路や鉄道網はあらゆる所で寸断されました。

余震は震度2~3クラスで間隔が短く、揺れる度に「またか!」とビクビクしていました。

交通網が寸断され、通勤もままならない状態…こちらも当時幸いにもスクーターで通勤していたので出勤には支障が有りませんでした。

テレビでは目を覆う惨状が報道され、衝撃的な映像を毎日のように目にする事となり日々増え続ける死傷者数、交通インフラの復旧状況が1年以上報道されました。

某国営放送では当直の方が机上で就寝している所に地震が来てテレビや棚が倒れ飛び起きるシーンや大きく傾いたビル、火の手が収まらない火災現場、そして圧し潰された家屋と、まるでこの世のものとは思えないものが繰り返し報道されました。

余震も大地震当日から幾度となく発生し、少しの揺れでもビクッと恐怖を感じたり目が覚めたり…

大阪北部地震の時も、あの震災の再来か?と思うほど揺れました。

今起床時間にしている5:45も実はこの地震以降から続いていて、四半世紀を経過した今でもトラウマの如く続いているんですよね。

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あれから25年、防災に対する意識が高くなりましたが、その間にも鳥取西部、岩手宮城内陸、東日本、熊本の大地震や記憶に新しい大阪北部地震が有りました。

大阪は台風の被害も有りました、平成30年の台風21号です。

実は大阪で記録した瞬間最大風速47.4m(170.6km/h)を記録した14:03、実は会社からの電話要請で屋外に居ました。

傘など役に立たず合羽を着て外出したのですが、体が風で移動すると言う恐怖体験もしました。

大きく重い看板やシャッターの欠片?等が風で空高く舞い上がり、あの直撃を受けたら多分死ぬだろうなぁ~と思いながらでしたが、運良く何にも当たらず帰宅する事が出来ました。

これからも巨大地震や台風の被害は有るでしょう、あの関東大震災が発生した9/1は防災の日とされているので、年に一度は防災意識を高め
る事も大事ですね。

ちなみに1/17は防災とボランティアの日とされています、1995年はボランティア元年と呼ばれているのを思い出しました。
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